中学から大学院まで足かけ15年も京都に通っていたためか、一澤帆布の鞄にはずっと憧れていた。自分のお金で最初に買ったのは、白いショルダーバッグだったように思う。汚れが目立ってくる度に手間をかけて洗い、裾がほつけてくるまで使ったような覚えがある。その後も一澤帆布の鞄にはずっとお世話になってきた。
基本的に京都ローカルの小さな商店、でも個人的にとても愛着のあった一澤帆布が、よりによってお家騒動で一気に有名になってしまったときには、複雑な気分であった。そのときには京都を離れてしまっていたので、一澤帆布にも信三郎帆布にも立ち寄る機会がなく、ようやく店を訪れることができたのは2007年。信三郎帆布もかなり軌道に乗ってきたように感じられる時期であった。品物を実際に見れば、どちらに義があるかは明らかだった。信三郎帆布が往年の一澤帆布の丁寧なモノ作りを受け継ぐ一方で、一澤帆布は手抜きが目立った。正確には、職人の技量が足りず、妥協したモノ作りをせざるを得なかった、ということなのだろう。マスコミの報道なんかより、品物こそがはるかに雄弁に真実を語っていたように思う。
この本が書かれたきっかけは、もちろんこのお家騒動であったろう。しかし実際の文章からは、お家騒動の話よりも、信三郎氏と職人さん達の真摯で手抜きのない、しかしあそびのあるモノ作りが印象に残る。タイトル通り、一澤信三郎さんのドキュメンタリーである。
モノ作りや商売の視点から見ても、信三郎氏のアプローチは実に興味深い。金具一つに至るまでこだわる姿勢はアップルのそれに通じるところがある。クチコミをベースとしたスモールビジネスに徹するのも、何となく今風である。しかし商売のテンポは、インターネットのスピード感とは無縁の、ゆったりとしたものだ。何十年経っても、やっぱり東山の地で同じようにいい鞄を作ってくれているに違いない。そんな気持ちにさせてくれる。実に京都らしい商売の仕方やなあ、と、京都出身の私は思うのである。

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