タイトルからしてふるっている。「盲亀浮木」。少なくとも私は、こんな言葉は聞いたことがなかった。元は仏教用語で、大海の底を這い回る盲目の亀が100年に1度水面に浮かび上がるとき、たまたま水面を漂う流木の、しかもそこに開いている穴から顔を出す、という喩えから転じて、物事が成就するのが極めてまれであるという意味となる。本来の仏教用語としての意味は浄土真宗親鸞会のページに詳しい。
村田さんは、元の説話のレベルにまで立ち戻って、この言葉を比喩として使っている。つまり、基礎理論を盲亀に、実際の応用を浮木に喩えて、基礎理論が実際の応用に役立つのが極めて稀である、と、話を始めているのである。こういう言葉が出てくる辺りがなんとも村田さんらしい。コラム執筆のときに四字熟語集をひっくり返してもそれこそ盲亀浮木だろうから、なんかの機会にこの言葉を知って、温めていたのではないか、と想像している。
村田さんが基礎理論と応用との関わりを語れるのは、もちろんRELAX NGという成功事例を持っておられるからだし、それが故にこのコラムには説得力がある。ただし、コラムに書かれていない話として、村田さんがもともと基礎理論肌の人であること(工学部ではなく理学部出身である)、RELAX NGに至るまでに構造化文書の問題に長く取り組まれていること(DBLPのページ。ご本人の談によれば1994年頃からSGMLに関わっていたらしい)は挙げておく必要があるだろう。RELAX NGという盲亀浮木は100%偶然から生まれたわけではないのである。
それにしても、自分の身を振り返ってみるとき、大学という環境にいながら浮木に出会うことがいかに難しいかを、改めて痛感する。概して、大学という環境は、実際の応用とは縁遠い。しかも自分は、決して好奇心旺盛なほうではなく、興味を持った数少ない対象を深く掘り下げていくほうが好きであり、他人と共同で研究をするのも苦手である。ただでさえ出会いにくい浮木に、ますます出会いにくくなっている。
先にリンクを張った浄土真宗親鸞会のページによれば、盲亀浮木の出典である「雑阿含経」では、説話の続きがあるらしい。亀が木の穴から顔を出すのはほとんどあり得ないことだが、まったくあり得ないことではない。人間に生まれるということは、さらにそれよりもあり得ないことであり、有り難いことである。基礎理論に関わっている人と実際の応用に関わっている人、どちらが多いかと言えば、実際の応用に関わっている人なのではないか。そういう意味で、基礎理論に関わりながら仕事ができているのは(盲亀浮木よりも確率は高いだろうが)有り難いことであると感謝しなければならないのだろう。
そんなことを考えつつ、自分が関心を持てる浮木がないか、アンテナをチェックする日々なのである。